回想その2 家出編〜高崎まで
【2月2日12時。東京。祐天寺にあるスタバ】
続き
家出を決行した日はいつだったかしら。
確か、2017年の2月の中旬だった。
その日までに
・東京での自分の住所の確保
・アルバイトの面接の申し込み
は済ませておいた。東京行って宿無し一文無しじゃ流石に死んじゃうからそれだけは準備してあとは「成り行きに任せよっ」って何も考えてなかった。
当日の持ち物は
・お金 21,000円と120ドル=34,440円
・自転車 ピスト自転車にリアキャリア取り付けたわけわからない乗り物
・使えるiphone6と使えないiphone5c
・寝袋
・3日分の着替え
・おにぎり
これから家出して軽井沢の峠越えて東京で一人暮らしする人の装備では無いね笑
でもかなりの自信持って「これだけもってりゃ大丈夫だ!」って準備し終わったあとに独り言行ったの覚えてるな〜。楽観的だ、良いこと。
で、父も母も仕事行って、一人になった家で最後の準備として家族に向けた手紙書いた。
内容はあんまり覚えてないけど
「家出しました追いかけないでね」
「いつかアメリカ行くのが夢」
「さよなら〜元気で生きます」みたいなことは書いた気がする。出発前・気分ハイになってるときに書いたからあんまり良い文章ではなかったと思うけど…まぁその時の気分で書いたってのが逆に良いかもね笑
玄関出て階段降りて、
振り返って、
さぁ。出発だ!さよなら我が家!さよならこまち!(大好きな我が家のワンコ)元気でな、めちゃめちゃ可愛いなお前さん!ばいばい!!
ピスト自転車にリュックと寝袋くくりつけて、イヤホンしてラジオつけて、手袋して、
しゅっっっっっっっぱぁぁぁぁぁぁつ!!!!!!
もう自転車を前に進めるだけ。ひたすら漕いで漕いで漕いで。何考えてたかもよくわからない。ただこれからの自分にワクワクしてたのは確実。
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……家を出発して30分 意気揚々と臼田駅付近県道2号線を野沢方面に向かってた時。
後ろから来た車がスピード落として僕の自転車の右側を並走してきて窓開けて一言
「たいよー、そんな荷物持ってどこいくの?」
・・・ん????
声のしたほうを向くと…お父さん!?!?!?!?
まさかの家出して30分!東京までの200キロの道のり始まって9キロ地点で家出が親にバレるというね!!!!!
僕は特に考えもせず咄嗟に笑顔で「家出した!」って答えて
それを聞いてお父さんは「そうか!頑張れよ!」的なこと言って走り去って行った。
…ほぉ。なんだこれ。。。
その時の気分なんですけど「うわぁ家出したのすぐバレちゃった」って思いはまったくなかった。
むしろ「お父さんにちゃんと「家出した」って言えてよかったぁ、応援してもらえたし、頑張ろう!良いね。」って清々しい気持ちだった。まじで世界が明るくなった。心がじんわり温かくなるっていうのを実感した。
今でもその時の気持ちは綺麗なままです。
理由はわからないけどこの偶然があったからこそ僕の人生はうまくいくようになったんだと思うな。
良かった。
本当に運が良かったと思う。
その後はずっと自転車漕いで軽井沢に向かった。
お昼前には軽井沢駅についた。
これから迎える碓氷峠越えのためにお昼休憩。
峠越えは天国と地獄でした。
自分、ピスト自転車っていうギアが一個しか無い街乗り用の自転車で家出しちゃったんですよ。(車でいうなればずっと5速みたいな)もう上り坂でペダルが重くてツラいツラい、荷物も重いし、めちゃ泣きたくなった!
ただ、下り坂はちょ〜〜〜〜楽しい!!!
峠なのに意外と道路の見通し良かったから車に注意しつつノーブレーキで峠下ったときの爽快感がこの世のものじゃなかった!上りのツラさもプラスされてもう最高!!
で 群馬県入り。
夕方ころに高崎について、今日はここまでにして休もうとおもい寝床探しを始める。
まずは高崎駅近くを散策したんだけど野宿できそうなとこは無かったね、なんか騒がしいし
次に公園 高崎って大きい公園多いけどやっぱり街なかにあるの、ちょっとここで野宿するのは恥ずかしいなぁ…
最後に河川敷。最高の寝床あった…和田橋のたもと!
橋のたもとってなんでああも野宿に最適なのかしら。その日はそこで寝袋にくるまって就寝。
ほんとに疲れたからすぐにぐーすかぴーした。
家出当日終了。