回想その3 家出編〜東京着
【2月2日16時。東京。二子玉川にあるスタバ】
続き
家出2日目
高崎にある和田橋のたもとで目が冷めたのは朝7時?くらい。
トイレ行きたくなって近くの高崎公園に行ったらラジオ体操やってたからじいさんばぁさんに紛れて一緒にラジオ体操やったのよく覚えてる
いろいろ準備して改めて東京に向かって自転車漕ぎ始めた。
そのあと東京まではノンストップだったな。
埼玉から東京に渡る時 荒川の橋の上で「板橋区」って標識見たときは「あぁついに一人で東京にやってきたんだなぁ」ってちょっと感慨深かった。
上野公園についたのは18時でした。
東京の家は入谷にある月2万円のシェアハウスって決まってた。でも入居日が東京に着いた次の日だったからその日はやっぱり野宿するしかなかったのよね。
上野公園の隅っこの方でまた寝袋かぶって野宿、ホームレス気分。
次の日、シェアハウス入居日で、まずは不動産屋さんと契約しなきゃいけなかったから入谷にあるカフェで契約の書類いろいろ書いて、、、
その時僕はまだ18歳、不動産屋さんは保護者に承諾を得なきゃいけない。。。
ものすごく緊張しながら家の固定電話に電話しました。
お父さん「はい武井です」
僕「もしもし、太陽」
「おっ、太陽か、今どこにいるの?」
「東京、ダイトウクの入谷のシェアハウスに泊まろうと思うんだけど親に許可得なきゃいけなくて、不動産屋さんに電話代わるね」
「タイトウクね台東区、わかった」
的な会話をして、不動産屋さんとの会話終わったあと改めて電話戻してもらったの。
向こうの電話口は母「太陽!何やってんの(怒)!!いきなり家出するなんてやるね〜!生きてんならまぁいいや笑。また落ち着いたら電話して、いろいろ聞きたいから」
お母さんの声を聞いたらなんか涙出てきたんだよね〜自分でもびっくりするくらい目頭がじんわりしてきた。でもカフェの中で目の前に不動産屋さんがいる前で泣くなんてちょっと恥ずかしかったからその時は全力で涙我慢した。
お母さんの声を聞いたら安心したんでしょうね、流石だわ、ほんと。
色々な本とかに「母親の声を聞いたら涙が溢れ出た」っていう表現あるけどあれはマジ。
自分では認めたくなくて自覚してなかったけど正直めちゃ不安だったんだと思いますこれからの自分がどうなるのかって。考えたらだめだって思ってた。
長野から家出して東京来てお金も仕事もなく頼れる人が誰もいない18歳。
そりゃ不安でしょうね!よく頑張ったな太陽。褒める。
で、そんな精神状態のときに母親の声。聴いた瞬間マジハイパー超大安心できたんだよね
母の優しさ・絶大な安心感・ぬくもりっていうの?それを全身で感じた。ありがとう、大感謝。
そうだ長野帰ったらツルヤのくるみチョコロックパン買ってもらお。
まぁこれにて家出編は完結。東京での住所も確保できたわけだし笑
あとはお金を稼がなきゃなってことで仕事探し。
まさかYOU何のADになるなんて一ミリも予想できなかった。